けっこう昔にドラえもんまみれの高岡市にいった思い出
今日はすごく腹のたつできごとがあった。もう、悔しくて悔しくて眠れない。Youtubeで嫌いな人の対処の仕方の動画を観るだけでは腹の虫がおさまらず、どうにかして相手に恥をかかせたいと思考がグルグルとまわり全く眠れなくなってしまった。明日も仕事なのにという焦りと、相手のことで無駄に思考が占有されている苛立ちでどうにもならない。明日のことを考えるから眠れないのだ。そうだ、明日は仕事を休もう。そう決めて意識を過去の写真へと促した。明日以降のことには目を瞑り、楽しかった記憶しか残らない過去を振り返るのだ。
そういえば結構前に富山にいった
富山県、と言えば・・・う~んと唸って少し考えたうえで、ブラックラーメン??と辛うじて答えるくらいに興味がなく、もし島根県の紹介ビデオを富山県と偽られたとしても、全く疑うこともしないだろう私は、けっこう昔に富山県に行った。
会社の同僚からラジオ体操のときに、富山の「キトキト寿司」という寿司屋がすごく美味しいですよ!!という話を聞いたのだ。とにかく、富山には「キトキト寿司」という、すごく美味しい寿司屋があるということで、私は2018年の冬に富山へ向かったのだ。
とりあえず高岡市へ向かった
富山へ向かう道中に、そういやどらえもんの何かがあった気がすると調べてみると高岡市がドラえもんまみれという情報をゲット。こりゃ聖地巡礼と洒落こみますかとメガシティ富山へ向かう前に高岡市に寄ることに。
富山県に上陸
人生初の富山県に上陸。
あとはなんで撮ったかわからない材木店。
すこしテンションが上がってたのかもしれない。
そして、ドラえもんまみれの高岡市へ
ついに高岡市に到着。お城の近くの駐車場へ車をとめて高岡市美術館へ。
途中にある高校?がどうやら他校と交流してたみたいでバスがならんで賑やかだった。またな~みたいな感じで青春だった。いいなあ。
全部が全部どらえもんまみれではなく高岡市美術館の一部がドラえもんまみれになってる仕様。美術館の全体は
ちなみにどらえもんギャラリーの中は撮影禁止だしスマホいじりもご遠慮いただいている。ちらっとメール返してたら注意された。注意されるだろうなとわかってるのにやるところが舐めてしまっている。こんなんじゃダメだ。こういうところが私のダメなところ。反省だ。
館内のおすすめとしては、どらえもんグッズがすごくいっぱいあったので好きなひとはうれしいかもしれない。私はコロ助のぬいぐるみが欲しかったけど、ゴミになると思って買わなかった。10年早くここへ来たかった。歳はとりたくないものである。
さよなら、ドラえもん。
そうして藤子不二雄ギャラリーを後にした。ってか、どらえもんじゃなくて藤子不二雄ギャラリーとうのかどうりでいろんなキャラクタがいたなと思った。すみません、ドラえもんまみれではないです。
高岡市街へ
高岡駅へ車をとめて散策。駅は綺麗で広い。
富山の人は頭いいってきいていたけど、やっぱり駅に自習できるところがたくさんあるし学生さんで埋まっていた。やべえ、、意識たけえよ。まじで。
そして、勉強だけじゃない漫画も読み放題。といってももう移転してるみたいですけど。これが維持できるって民度高すぎじゃないっすか。
高岡、すげえよ。。
高岡市街へ
駅周辺は商店街。かつては大賑わいだったろうことが想像される結構な大きさだ。
ただ、時間がわるかったのかシャッターが下りてるお店が多かった。寂しい。
路面電車もあって趣深い。ここで青春を送りたいそう思わせる街だった。
大仏へ
高岡と言えば大仏。なぜか私はそれを知っていた。思い返してみるとパズドラでそういうのがあった。「キトキト」この言葉も私はパズドラで知っていた。ここへ来たのは偶然ではない。知らない間にパズドラで洗脳されていたのだ。
あと、大仏を見に行く途中にあるこのホビーショップ、、、中には入ってないけどかなり渋い。中に入ればよかったな。
そして駅前のドラえもんまみれへ
市街を散策したあとメインディッシュのドラえもん達と合流。駅前集合だ。
これが目的ならサクッと完遂できる。
そんなに遅い時間ではないと思うが、まあまあ暗くなっていた。
バイバイ ドラえもん。もう行かなくちゃ。
富山市行くのだるいなと思いながら次の目的地の富山市へ向かうのだった。
キトキト寿司
富山市へ向かう途中で発見。かなりしっかりとしたお店にビビった。
ちなみに中もかなりしっかりしてて、私はけっこう萎縮してしまった。
まず、くら寿司、スシローのノリで行ってはいけない。美味しいものにはしっかりとした対価を支払う必要がある。ただ、その分めちゃくちゃおいしい。いい思いをさせていただきました。
まとめ
もう夜中の3時だ。これで7時に起きて出勤なんて不可能。もう、わすれよう。いやな奴?すっかり意識から抜けていた。いやなことがあったら旅の思い出をたどろう。私は人生をしっかりと楽しんでいる。その記録を残してきたのだ。